医療法人明和会 宮田眼科病院(宮崎県都城市)WEBサイト 診療科目:レーシック,近視矯正手術,白内障,緑内障等。

ハンセン病への取り組み

「光与え続け15年」父子二代、元ハンセン病患者治療100人手術失明防ぐ

宮崎県都城市の眼科医、宮田典男さん、和典さん父子が、15年にわたって国立ハンセン病療養所「星塚敬愛園」(鹿児島県鹿屋市)の元患者の治療を引き受け、失明状態だった5人に角膜移植で光を与えるなど大きな治療効果を上げている。

国がハンセン病隔離政策の誤りを認め、元患者の社会復帰が焦点になる中、父子は「さまざまな苦難に耐えてきた人達に、少しでもお役立てたら」と、あらためて元患者達への”貢献”を誓っている。

宮田さん父子が都城市蔵原で営む眼科病院が元患者を受け入れ始めたのは、1985年6月。星塚敬愛園の依頼で、入所者の白内障の手術をしたのがきっかけだった。

元患者は、目が閉じられなくなり失明の危険がある兎眼や、眼球の虹彩の炎症にかかりやすい上、高齢化で白内障を起こす人も多い。当時はハンセン病に対する偏見が根強かったが、大学医局勤務 時代にハンセン病施設の出張治療を経験し、目の病気に悩む元患者が多いのを知っていた典男さんは手術を快諾。以来、同園からの委託治療を引き受け毎年、入居者の集団外来治療を受け入れてきた。

98年、米国留学していた和典さんが帰国し院長を引き継いでからは、受け入れ数をさらに増やし、現在は同園の入居者の六割、約250人の治療を担当。昨年度は延べ539人を治療した。 この間、親子2代で100人以上を手術し、角膜移植で失明状態だった5人の視力を取り戻すなどの成果を上げてきた。

全国13の国立ハンセン病療養所入所者の外部治療機関への委託治療は、公立の大手総合病院 が引き受けるケースが多いだけに、厚生労働省は「民間の単一診療科目病院でこれほど多くの患者を 受け入れているのは珍しい」(政策医療課)と、宮田さん父子の医療活動を評価。

敬愛園自治会副支部長の江藤清巳さん(70)は「社会の偏見が強い時代から快く治療してもらい、多くの入所者が失明の絶望のふちから救われた」と感謝している。

<追記:元ハンセン病患者の委託治療>
国は3の国立療養所の入所者について973年から、がんや内臓疾患など療養所内での治療が難しい病気の治療を外部の医療機関に委託している。昨年度の委託件数は約5000件。これに伴う医療費約4億5000万円は全額、国が負担している。

<西日本新聞  2001 年 12 月 18 日掲載>

ハンセン病患者に救いの二人三脚

ハンセン病患者のおこした裁判の判決に従い、政府が控訴しないとしたことに対して称賛の声が高い。
往年衆院議員であった癌と闘病中の上西和郎君(熊幼49期)に鹿屋市の星塚敬愛園の患者全員からお見舞いが届けられた。それは不遇な患者への上西君のやさしい心根に対する感謝の気持ちのあらわれであった。

星塚敬愛園は昭和0年、貞明皇后の御下賜金で建設されたハンセン病の療養所である。 昭和50年頃、地域の福祉相談に挺身していた上西君はたまたま、ここの患者自治会から診療してくれる眼科医を知らないかとの相談を受けた。「敬愛園には眼科医がいないので熊本の菊池恵楓園まで行かなければならない。それも早くて半年、長い時は一年も待たされ困っている」とのことであった。

当時はハンセン病患者が他の病気に罹患しても静察に及び腰の医者が多かった。上西君は その窮状に同情し都城市で開業している宮田典男君6期に連絡をとると、彼は即座に「俺が診察しよ う」と答えた。ハンセン病に対する偏見の強いなかで、この返答に上西君は「陸軍に人あり」との感を深くしたという。以来、25年250名余を治療し3名の角膜移植も行っている。

敬愛園と患者は両君への限りない感謝の気持ちを忘れる事はなかった。そして宮田君は平成7年、(財)藤楓協会総裁三笠宮寛仁親王殿下より入園者の眼科診療に尽力したとして表彰状を賜る光栄に浴している。

表彰状

なお、現在の院長宮田和典は、東大医局在籍中 (~1994年)に、偶然にも父である宮田典男のハンセン病患者への治療活動を全く知らずして、同じくハンセン病施設「全生園」で治療や手術を行っていた。帰郷後、宮田典男の後を引き継いだ和典は、現在も敬愛園の治療を継続している。

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